江戸文化の象徴とも言うべき国産の線香花火がなくなる。
「それは決してあってはならないこと」 山縣社長の決心
「純国産線香花火」の復活
「それは決してあってはならないこと」
そう決心し、平成10年、当時の煙火協会副会長の武藤さんと若松屋の佐野会長に、
国産花火復活へ向けた思いを語り、立ち上がった
信州で最も線香花火の生産量が多かった北山煙火店のお嬢さんが岡崎の三州火工社長の
奥さんになっており、北山煙火点が以前に作っていた線香花火のレシピと、和紙をお持ちだ
と聞き、すぐに三州火工の稲垣社長にお会いした。
純国産の線香花火を作りたいとの話をし、それに対して三州さんは「まぁ、道楽として一人
百万円ずつ出して作りましょうか」と答えてくれたのである。
。
それから2年かけて
苦労に苦労を重ねた2年。
三州さんには線香花火の火薬を製造していただき、
和紙も何とか静岡で見本と同じものが手に入った。
平成12年10月、昭和の頃のものにも負けない線香花火ができ
あがった。名前は -------「大江戸牡丹」
同年の平成12年12月12日に開通する
都営地下鉄「大江戸線」にちなんで
「大江戸牡丹」とした。
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ついに日本製の線香花火の歴史が再び開かれたのである。
その後の平成15年(2003年)には、7年ぶりに
九州の名品「不知火牡丹」
三池の筒井時正商店の若き当主、正穂氏から九州の線香花火
生産の火もこのまま消したくないとの思いから、九州での製造
の申し出があり、7年ぶりに再発売された。
が再発売された。
これらの線香花火はその歴史や誕生の経緯とともに、世界中で紹介され、
「線香花火はLifeだ」 とも言われた。
線香花火の燃え方には、300年続く 「日本の伝統美」 があるんです。
線香花火の燃え方
寺田寅彦博士の備忘録には、線香花火の一本の燃え方には「序破急」があり、
「起承転結」があり、詩があり音楽がある、と書かれている。
そこにはいつの時代であっても日本人の心を打つ、わび、さび、はかなさ、
もののあわれがある。まさに300年続く日本の伝統美である。
着荷から玉が落ちるまでを、牡丹、松葉、柳、散り菊
と例えられる美しい変化を一本
0.1g の芸術品を、一人でも多くの方に心行くまで是非味わい楽しんでいただきたい。
庭に出て 線香花火や雨上がり 立子